スタジオジブリ鈴木敏夫が英紙に語る「作品をつくるときは、日本の観客のことしか考えていない」 | クーリエ・ジャポン

★★★:バランスよく議論できる
★★☆:意見を吟味する
★☆☆:客観的情報
☆☆☆:議論用ではない
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Nov 24, 2020 10:34 PM
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「トトロは一回観ればいい」と断言する鈴木敏夫 Photo: Dominique Charriau / WireImage
『となりのトトロ』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『風立ちぬ』──タイトルをいくつか挙げただけでも、それぞれの思い出が蘇ってくる人は多いのではないだろうか。
私たち日本人にとって、ジブリ作品は幼いときの幸せな記憶であり、10代で見た青春の夢だ。そして大人になってまた見返せば、そこには懐かしさだけでなく社会に潜む問題に光をあてる鋭い視点があることにも気がつく。
高畑勲が亡くなり、現在はコロナ禍にあって作品づくりもかつてのようにはいかないが、それでも「ただ良いものを作りたい」という直向きな思いで宮崎駿と鈴木敏夫は、スタジオをまわし続けている。
日本では、数週間にわたって新型コロナウイルス感染症対策の緊急事態措置が全国的にとられ、他国同様、巣ごもりによるストレスが溜まっていた。とくに子供たちは怖がっていたし、退屈もしていた。
「ちょうどこの時期だったんですよ」と、オフィスにほど近い寿司屋の掘りごたつ式の席で鈴木敏夫(72)は語る。日本で一番有名なアニメプロデューサーであり「スタジオジブリ」の共同設立者である彼に、名古屋市教育委員会が応援メッセージを寄せてほしいと電話で依頼してきたのだという。名古屋は、鈴木の生まれ故郷だ。
鈴木は、この依頼に共感した。彼自身、1959年の伊勢湾台風を11歳のときに経験している。被害は壊滅的で死者も膨大な数にのぼったため、子供たちをおびえさせないように、芸人たちがやってきてパフォーマンスをしてくれた記憶がある。
「『コロナに負けるな』というようなメッセージを出すのが普通なのでしょうが、僕はそうしたくはなかったんです」と、彼は言う。
とてもシンプルでわかりやすい解説。これなら絵の上手い下手にかかわらず、誰でもトトロを描けそうだ
代わりに鈴木が出したのは、祖父が孫に語りかけるような短い動画だった。いまやネット上でさんざん拡散されているこの動画で、彼はトトロを簡単に描くコツを子供たちに教えた。
「トトロ」とは、丸々としたフォルムの森の精で超自然的な癒しのシンボルであり、ジブリ作品のなかでも世界的に知名度が一番あるキャラクターだ。鈴木のこの話から、逆境に立ち向かう際、消費ではなく何かを作ることが大事だというメッセージが受け取れる。
その一方で、彼を含めた3人の共同創設者が、どのように35年にわたって世界で最も愛される制作会社のひとつであるジブリを運営してきたのかを証明してもいる。

トトロは何度も観てはいけない?

伝説的なアニメ制作者の宮崎駿(79)と、かつては子供向けと思われていた媒体にシリアスな物語をのせた先駆者である故・高畑勲と共に、この非常に日本的なスタジオを「常になんでも自分たちの思い通りにしてきた」のだと、鈴木は話す。それだけの自信は、彼と宮崎のゆるぎない友情が基盤にあるからで、事業を続けてきた道のりも「1978年から42年間ずっとつきあってきた」仲間同士の、やむことのない対話のような感覚だという。
「宮崎駿は僕の親友です。友達には親切なだけではだめだし、厳しいだけでもだめ。どちらも持ち合わせていないと……。僕は毎日欠かさず彼と会って、話をしていました」と鈴木は言う。「それに」と、彼は悲しそうに続ける。
「僕たちの会話にはいつも死者が一人加わってましてね。2018年に高畑が82歳で他界し、親友3人組が2人になってしまった」
だが偉大な物語作家は、今も2人の会話に参加している。
「高畑さんならこれをどう思うかな、という疑問形になってしまうけれどね」
こうした会話から導き出された結論が、会社の方針を決めてきた。