デジタル界の異端児、次なる警告「政治家が巨大IT企業をスケープゴートに仕立て上げている」 | クーリエ・ジャポン

★★★:バランスよく議論できる
★★☆:意見を吟味する
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☆☆☆:議論用ではない
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Jan 12, 2021 10:16 PM
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Photo: John Lund / Getty Images
一昔前、インターネットが私たちの問題をすべて解決してくれるのではないかと大真面目に期待された時代があった。その当時からシリコンバレーを痛烈に批判してきたデジタル界の異端児がいる。ベラルーシ出身のエッセイストのエフゲニー・モロゾフである。(1984年ソリゴルスク生まれ)。
マーク・ザッカーバーグを「プーチン」になぞらえただけでなく、Web 2.0を流行語にしたインターネット理論家ティム・オライリーを「ペテン師」だと責めたこともある。
その仕返しでモロゾフは「人騒がせ」、「大げさ」、「テクノロジー恐怖症」などと批判されてきたが、本人の弁では、「テクノロジー恐怖症」のレッテルほど自分に当てはまらないものはないらしい。
巨大IT企業の規制や批判に終始する昨今のテクノロジーの議論には心底、退屈しているとのこと。議論の俎上に載せるべきは、問題の根底にある「資本主義」だと指摘する。

テクノロジーが資本主義に結びつくとき、絶望が生み出される

──モロゾフさんは長年、インターネットがもたらす害悪について警鐘を鳴らされてきましたし、その予測が的中してきた部分もあります。かつてあれほど物議をかもしたモロゾフさんの見解が、いまでは主流です。自分の見方にようやく世間が追いついたとお考えですか。
私はテクノロジー自体が問題だと感じたことは一度もないんです。ここ5、6年、新聞や雑誌にも書いてきたのですが、テクノロジーを抽象的には分析できません。分析できるのは、ある特定の経済システムとテクノロジーが結びついたときに何が起きるかといったことです。
経済のシステムには、いろいろなものがあります。社会によって価値観や要求されることが違いますし、組織の仕組み、生産の様式、人間関係のあり方も異なるので、経済システムもそれによって異なってきます。同じテクノロジーを使っても、経済システムが異なれば、生じることも変わってくるのです。
私はフェイスブックやツイッターやグーグルを見たとき、それをテクノロジーだと思いません。私の目に映るのは、政治力を上手に使って自分たちがやるべきこと、すなわち利潤最大化に励む、昔ながらの経済主体です。
テクノロジーは大いに結構なのです。でも、政治や経済のシステムが現状から大きく変わらないと、テクノロジーを使っても正義や連帯や平等などの価値があることを実現できません。テクノロジーが資本主義に結びつくとき、それもネオリベラリズムや金融化を極端に推し進めた資本主義に結びつくとき、貧困や不安定な生活、絶望が生み出されます。
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Evgeny Morozov エフゲニー・モロゾフ ジャーナリスト。1984年生まれ、ベラルーシ出身。「技術革新が人々に自由と民主主義をもたらす」という「iPod主義」の考え方を強く批判する。著書に『The Net Delusion: The Dark Side of Internet Freedom』『To save everything, click here: The Folly of Techonological Solutionism』など Photo: Michael Gottschalk / Getty Images
──いまよりも公正なシステムとは、具体的には、どんなものなのでしょうか。テクノロジーの進歩を資本主義と切り離し、別の価値観と結びつけた、より公正なシステムとは、具体的にどんなものでしょうか。
歴史をひもとけば、近代の公共図書館などのように、知識共有のシステムの利用を公金でまかなえた事例はあります。どんな選択肢があり、どうすればそれを実現できるのか。それを想像するには、所有権の問題を政治の議題に上げなければなりません。
それから誰が新しいテクノロジーをいろいろ試して、未来を想像できるようにするのか、という問題も考えなければなりません。
そういうことをできるのがスタートアップやベンチャーキャピタルで働く人だけだと、未来とは、あなたのデータを利益に変える広告の世界になってしまいます。あるいは何かを利用したいなら利用料金を支払わなければならない世界です。
それは公共インフラとしてサービスが提供される未来ではないのです。そこにあるのは、人にはそれぞれ社会的権利、経済的権利、人権があるという思想ではなく、サービスを利用したかったら、人(というか消費者)はそれを買わなければならないという思想です。
この二つのパラダイムは対極にあります。権利のパラダイムでは、私たちは医療を受ける権利、教育を受ける権利など、民主制の国で得られる権利を享受します。
一方、シリコンバレーのシステムでは、人は何の権利も持ちません。単にサービスを買う消費者として扱われます。儲けが出てないという理由を挙げて企業側が一方的にサービスを打ち切ることもあります。何の保証もありません。