「焼身自殺した果物売り」は国民の嫌われ者に─「アラブの春」から10年、チュニジアの厳しい現実 | クーリエ・ジャポン

★★★:バランスよく議論できる
★★☆:意見を吟味する
★☆☆:客観的情報
☆☆☆:議論用ではない
☆☆☆:議論用ではない
ある特定のオピニオンが述べられる
ある特定のオピニオンが述べられる
いつ登録したか
Jan 17, 2021 09:25 PM
オピニオンが含まれない
オピニオンが含まれない
カテゴリー
両論が併記される
両論が併記される
事実ベース
事実ベース
立体的(多角的)
立体的(多角的)
考察的・思想的
考察的・思想的
複数のオピニオンが含まれる
複数のオピニオンが含まれる
調査、データ、観察的
調査、データ、観察的
notion imagenotion image
故郷のシディブジドにあるモハメド・ブアジジのポートレイト Photo: @MouradTeyeb / Twitter
2010年12月、露店で果物を売っていた26歳の若者は、当局の嫌がらせに抗議して焼身自殺を図った。これがきっかけとなり、チュニジアでは腐敗した長期政権を打倒するため人々が立ち上がり、反政府抗議運動の波はアラブ世界全体に広まった。
しかし、「アラブの春」の発端となり、人々に抗議の火をつけた彼は、今や一部の国民から怒りすら向けられているのだという。

「誇りの象徴」から「呪われたもの」に

絶望のあまり彼がとった行動は、いまだにアラブ世界を揺るがしている。26歳の果物売り、モハメド・ブアジジの焼身自殺は、中東各地で革命の引き金となった。
チュニジアの首都チュニスには、彼の名がつけられた大通りがある。彼が住んでいたシディブジドには、地元政府の本部に面したところに、彼を描いた巨大な壁画がある。
彼は国家の腐敗と残忍さに抗議するため、自身に火をつけた。しかし、それから10年が経った今、チュニジアにおいてブアジジは──その死によって広まった革命とともに──評判が良くない。彼の家族はカナダに移住し、シディブジドとのつながりをほとんど絶ってしまった。「彼らは誹謗中傷を受けたのです」と、家族の友人は話す。
シディブジドの大通りで、通行人のファティヤ・イマーンは「ブアジジのことをどう思うか」と訊かれ、道路の反対側に描かれた彼の絵のほうを見た。「あれには腹が立ちます」と彼女は言う。
「あの絵を取り下げてほしいです。彼は私たちをめちゃくちゃにした張本人です」
モハメドのいとこのカイス・ブアジジは、自分たちの名字はかつて、チュニジア人の誇りの象徴だったと言う。「今や、シディブジドという街とブアジジという名字は、呪われたもののように感じられます」と彼は話す。
notion imagenotion image
2011年1月、チュニジア国旗に包まれたブアジジの棺を担ぎ、首相官邸の外で抗議活動をする人々 Photo: Christopher Furlong / Getty Images

民主化への深い幻滅

抗議運動の揺籃の地、唯一の成功例、アラブ民主主義の旗手──チュニジアに対するそうしたイメージは、地中海沿岸から忘れ去られた内陸地域に進むにつれ、どんどん崩れてゆく。内陸地域の人々の怒りは、2011年1月、長期政権を率いていた強権的な大統領、ジン・アビディン・ベンアリの追放を煽った。
それから10年経った今、チュニジアは民主主義の国となった。エジプトのように強権的な支配に逆戻りしたり、シリア、イエメン、リビアのように内戦に陥ったりする危機を、瀬戸際で回避してきた。チュニジア人たちは、以前よりも自由に指導者を批判できるし、この国では公正な選挙がおこなわれている。
しかし、人々は惨めさを感じ、幻滅している。この国でジハード組織に加わる者の数は、人口当たりでは世界でも最多だ。昨年イタリアに船でやってきた移民たちは、大多数がチュニジア人だった。
ほとんどの国民にとって、革命は生活水準の低下をもたらした。2010年以来、この国の経済成長率は半分になった。若者の失業は深刻で、失業者の85%を若者が占めている。
「何も変わりませんでした」と、35歳のアシュラフ・ハニは言う。彼は道路を隔てた売店から商品とカートが没収された後、ブアジジが自身に火をつけるのを目撃した。「状況はむしろ悪化しています」と彼は言う。

「欲しいものを両方手にすることはできないのか?」

政府でなされている議論、たとえば女性も遺産について同等の権利を持つべきかどうか、また、大統領の地位はムスリムのみにしておくべきかなどといったことは、シディブジドの人々にとって関係の薄いものに感じられると、32歳のカイス・ブアジジは言う。
「これらのことは、革命を起こす要因となった社会問題とはかけ離れています。私たちにとって最も重要なスローガンは、仕事と尊厳にまつわるものでした」
シディブジドから1時間の砂漠の都市ケルアンの郊外で、60歳のアーイシャ・クライシは、ベンアリ時代の腐敗が今でも彼女の生活に害を与えていると話す。当時、この地域では彼女たち女性が道路わきでパンを売る小さなレンガ小屋を建てるため、海外からの支援金が使われるはずだったのだ。
しかしほとんどの金は消えた、と彼女は言う。そして彼女は今も、木材と防水シートで作られた掘っ立て小屋で働いている。
「私たちは少し自由を手に入れました」と、ベンアリ失脚について彼女は話す。
「彼のもとでは私たちは話ができませんでした。でも、このことが私の生活に影響を与えますか? 私は自由と尊厳がほしいのです。両方を手にすることはできないのでしょうか?」
notion imagenotion image
チュニジア北西部のエルケフで、食べ物を探し回る女性 Photo: Thierry Monasse / Getty Images

なぜチュニジアだけが民主化できたのか?