要約のテスト

コマンド
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私は曲がったことが大嫌いである。
ついでに、ズルいことも大嫌いだ。
「歩く正義」と言われるこの私は、この怒りの感情をエネルギーに変えて生きている。おかげさまで、ある程度の問題はクリアすることができた。
大きな椅子にふんぞり返るような、偉い人を謝罪させたこともある。また、自分自身に対して、怒りのエネルギーで仕事を課して、1年足らずで、ある業界での知名度をあげることもできた。
怒りの感情は、毒が強い分、効果絶大なのである。
しかし、取り扱いが非常に難しい。これが、一番の欠点なのだ。
「怒りの感情」を利用すれば、大抵の問題が解決できることに気づいたのが、子どもの学校での事故がきっかけだった。
同級生とのトラブルがきっかけだったが、足元に陥没した穴に足をとられ、転んで頚を痛めたのだ。その後、半年ほど、学校に通えなくなってしまった。
感情に任せて怒鳴り散らしても、学校は相手にしてくれない。しかし、論理建てて、理詰めで学校側の不手際を洗い出すようにすると、学校は逃げるわけに行かず、対応するようになるのだ。
このおかげで、今まで予算さえつかなかった施設の修繕が、子どもの事故をきっかけに急遽予算が下りて、工事が入った次第である。
もし、ここで普通のお母さんのように、泣き寝入りしていたら、ここまで解決できなかっただろう。私の「正義」が、今まで先送りしてきた学校の不備を、正すことができたのだ。
やはり、「怒りの感情」は、上手く活用するに越したことはない。
さて、このように今までは「怒りの感情」を利用してきた私だが、初めてカウンターパンチを食らう経験をした。
この「ライティングゼミ」での出来事だ。
一個人が、自分の身を守るため、怒りの感情を利用して発言することは、一つの戦略として有効である。相手の非を引き出すなら、手段を選ばないということだ。
しかし、発信という形をとると、それは、おおいな猛毒となり、心を痛める人が大多数に膨れ上がってしまうのだ。もうこれは、「正義」ではなく、単なる「悪態」に成り下がっている。
最初、講師の先生からのコメントが、どうも世間体を気にしているように思えた。
怒りの感情をここまで解毒しなければならないのか。私の中で、なかなか腑に落ちることができなかった。そんなに、「怒りの感情」を持つことがいけないのか。
私には、どうしたらいいのかわからなかった。
今まで「怒りの感情」を利用して、生きてきた私は、「正義」という旗印によって、その毒が薬になることで、自分の身を守ってきているのだ。
幼い頃の、両親の離婚。中学校でのいじめ。大学進学で失敗して、遠回りしたこと。
これらは、すべて「怒りの感情」で乗り越えてきたのだ。
いまさら、その毒を解毒することはできない。
さて、どうしたらいいものなのか、まったくもって密林の中を彷徨ってしまい、行き先を見失うように悩んでしまった。
ここで、もう一度、この「怒りの感情」を分解して考えてみることにしたのだ。
簡単に言い換えるなら、怒りの感情を浄化する作業だ。
当初、私は、怒りの感情を発してはいけないと捉えていた。確かに、それを理由に、WEBでの公開を見送られてしまっている。
しかし、発信したいという欲求は、根底にある社会に対する「怒り」が発端なのではと思ったのだ。その怒りが起こるこだわりがあるからこそ、発信欲が生まれている。そして、社会に対して提言する発言は、未来の社会をよくしたい気持ちがあるからこそ、「怒り」が生まれるのだ。そうなのだ。怒りの感情を否定してはいけないのだ。
では、どうしたらいいのか。
私なりの結論は、「怒りの感情に執着しない」に行き着いた。
けっして、否定してはいけない。けど、感情に振り回されて、こだわっているまま文章を書いてしまっては、読んでくださっている方にただ、伝わらない。その事実のみである。
怒ることに執着すると、直火で周囲を焦げ付かせるだけなのだ。
しかし、上手く炭化させて、備長炭のごとく遠赤外線になれば、じんわりの周囲に暖が広まっていくのだ。
発信するということは、燃え盛る火を水で消さず、時間を置いて炭火になるまで寝かしておく作業のことを言うのだ。
このことに気づいてから、私の中で随分と気持ちが落ち着くことができた。
怒りの感情にこだわらないということは、怒る自分を客観視していることになる。
もし、私は、発信する機会がなければ、棺桶に入ってもなお、怒りの感情であたりを撒き散らしていたに違いない。
「怒りの感情」は、生きる源である。
決して蓋をしてはいけない。
これからは、今まで抱えてきた「怒りの感情」を、成仏させる気持ちで向かい合っていこうと思う。

1回目要約

The author describes their experience of using their anger to achieve success in various areas of their life, but notes that it is a difficult emotion to deal with. They recount an incident in which they were able to use their anger to improve their child's school, but also reflect on a time when they were on the receiving end of a counterpunch. The author concludes that while anger can be a useful emotion, it is also very dangerous and should be handled with care.
作者は、怒りを使って自分の人生のさまざまな分野で成功を達成した経験を説明しますが、怒りは扱いにくい感情だと指摘しています。彼らは、子供の学校を改善するために怒りを使うことができた一例を挙げながら、相手からカウンターパンチを受けたときも思い出します。作者は、怒りは有用な感情であるが、非常に危険であり、注意して扱う必要があると結論付けました。

2回目要約

The author argues that using anger as a motivator can be helpful in some situations, but it is also very difficult to control. They recount a personal experience of being bullied in school and how they used their anger to stand up for themselves and get the school to take action. However, they also acknowledge that anger can be destructive and lead to more problems than it solves. In the end, the author is still struggling to figure out how to best use their anger to improve the world around them.
著者は、怒りを動機付けに使うことが、特定の状況では役に立つが、コントロールするのは非常に難しいと主張しています。彼らは、学校でいじめられた個人的な経験を語り、自分自身を守るために怒りを使って学校に行動を起こしました。しかし、彼らは怒りが破壊的であり、解決する問題よりもさらに問題を引き起こす可能性があることも認めています。結局のところ、著者は、自分の怒りを使って周りの世界をより良くする方法を見つけ出すことにまだ苦戦しています。