版元日誌 » 『BIOCITY』の創刊20周年を迎えて(ブックエンド 藤元由記子)

★★★:バランスよく議論できる
★★☆:意見を吟味する
★☆☆:客観的情報
☆☆☆:議論用ではない
☆☆☆:議論用ではない
ある特定のオピニオンが述べられる
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いつ登録したか
Jul 8, 2019 07:46 AM
オピニオンが含まれない
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両論が併記される
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事実ベース
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立体的(多角的)
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考察的・思想的
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複数のオピニオンが含まれる
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調査、データ、観察的
調査、データ、観察的
1994年に創刊されたBIOCITYが、今年20周年を迎えた。環境雑誌といえば、「自然破壊を伴うダムなどの建設に反対する情報誌」といったイメージしかない時代に、「サステイナビリティ(持続可能性)」という新しい概念を提示した、先駆的な雑誌である。創刊より、BIOCITYの趣旨に賛同する新進気鋭の研究者によって、海外の新しい情報や事例が次々と発信された結果、環境分野では誰もが知る雑誌に成長した。その後、「環境」も「サステイナビリティ」もひろく浸透し、廃刊の危機にも瀕するが、3年前に弊社が引き継ぎ、「環境から地域創造を考える」というコンセプトでリニューアルして、なんとか20周年にこぎ着けた。ここでは、本誌に出会った3年前のことを振り返ってみたい。 BIOCITYの創刊者である杉田博樹さんが、奥様に付き添われて弊社を訪ねてこられたのは、2011年3月24日のことである。杉田さんは、前年に病を得て会社の経営が続けられなくなったので、BIOCITYの刊行を引き継いでくれる版元をさがしているとおっしゃった。私は長年、美術書専門で編集をしてきたので、環境分野は門外漢であるし、雑誌も経験がないことを理由に、いったんはお断りした。そのとき杉田さんは、理解を示しながらも、「BIOCITYの根底にあるのは、アートです」というナゾの言葉を残して帰られた。その意味がわかるのは、かなり先のことであるが、とにもかくも、不自由な身体で訪ねてこられたのによい返事ができず、申し訳ない気持ちで見送ったことを、今も鮮明に覚えている。 杉田さんと会った3月24日は、東日本大震災から二週間後のことで、世の中はまだ混乱のなかにあった。私も災害のショックから、仕事も手が着かず、無力感と、恐怖と、何かしなければという焦りがないまぜになって、息苦しさを感じていた時期である。だから、杉田さんからの依頼にも、積極的に検討しようという気持ちは起こらなかった。 それからひと月ほど経っただろうか。依然として混乱は続いていたが、震災や原発事故の様子も徐々に明らかになり、世の中には「復興」という言葉が出始めていた。友人の多くも東北にでかけ、ボランティアで作業に従事しているという。自分も何かしなければという気持ちが徐々に膨らんでいった。しかし、ボランティアにでかける体力もなければ、まとまった寄付をする資金力もない。自分にできるのは編集くらいだ、と思ったとき、ふとBIOCITYのことが頭に浮かんだ。それから、17年前の創刊号から一気にバックナンバーのページをめくった。そこには、国内外の研究者や実践者から、すでに大災害への警鐘が鳴らされ、さまざまな対策も提示されていた。1995年の第4号の特集は「阪神大震災から学ぶ『生命都市』の創造」、2005年の第31号は「サステイナブルな災害復興デザイン」として、中越地震、台湾地震、10年目を迎えた阪神淡路大震災などをテーマに、「創造的な復興」を特集している。今回の大震災の「予言」も「予防」も明確に提示されていたのだ。最後の47号を見終わったあとは、とうぶん放心状態となった。 それから行動を開始。BIOCITYへの中心的な執筆者である研究者を訪ね、本書が担っている役割や継続の意義について意見を聞いてまわった。どの研究者も大震災の衝撃の中で、BIOCITYのリニューアル刊行を強く望まれ、協力を惜しまないとおっしゃってくださった。これで後戻りができなくなった。やるしかない。 そして、7月23日に東京・恵比寿の日仏会館で、シンポジウム「大震災から何を学び、復興のシナリオをどう描くのか」を開催。パネリストには、赤坂憲雄、内山節、広井良典の三氏を招き、新生BIOCITYの総監修を引き受けてくださった、日本大学の糸長浩司教授の司会で活発な議論となった。この時期に、このメンバーが揃ったことは奇跡的だったかもしれない。そしてリニューアル創刊号となった48号は、シンポジウムの内容を中心に、京都大学原子炉実験所の今中哲二氏と放射線医学研究者の崎山比早子氏による「福島原発事故を考える」、そして海外の著名なエコロジストから寄せられた「日本復興のためのシナリオ」および「飯舘村緊急レポート」で構成。その後、49号、50号と、震災復興をテーマにした特集を続けたのち、「環境から地域創造を考える」というテーマでさまざまな特集を展開してきた。 あれからまる3年がたち、この10月に創刊20周年+60号記念号を刊行することができた。広告もとらず(とれず)相変わらず赤字が続いているうえ、3か月ごとに特集を組むのは骨が折れる。個人的にも、一年中BIOCITYに振り回されている状況である。「3年、60号まで」という、自分に課した最低限の目標もなんとかクリアした。では、これからどうする? まよっている間に、向こう一年間の企画が舞い込んでしまった。来年までやめられないな。そう思っているところに、この日誌の依頼が来たので、そのまま思っていることをしたためた次第である。 ところで、冒頭のナゾの言葉「BIOCITYの根底にあるのは、アートです」の意味については、ぜひ誌面で確かめてください!
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