根底にあるのは古典思想─中国の哲学者たちはAI技術をどう捉えているのか | クーリエ・ジャポン

★★★:バランスよく議論できる
★★☆:意見を吟味する
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☆☆☆:議論用ではない
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Oct 2, 2020 10:15 PM
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考察的・思想的
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調査、データ、観察的
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Photo: Yuyeung Lau / Unsplash
Text by Bing Song
人工知能(AI)技術の隆盛に世界中が脅威を感じているなか、驚くべきスピード感を持ってAI技術を発展させ、実用化している中国。その「恐ろしさ」ばかりが取り上げられがちだが、同国の識者はAIの存在をどう捉えているのだろうか。そして西洋ではAIの脅威が取り沙汰される一方、東洋ではそれほどパニックが起きないのはなぜなのか?

中国はなぜ「AIの脅威」に怯まない?

今後数十年の間に、AIやロボット工学の分野で世界をリードする──中国がそうした野心を抱いているだろうことは、グローバル社会で散々話題になってきた。だが、中国の哲学者が「AIの脅威」やAI倫理とどう向き合っているのか、欧米メディアはほとんど伝えてこなかった。
データ操作やオートメーションの時代が到来し、人間の自律性や自由意志が損なわれ、そして長期的に見れば人生の目的や意味が失われるかもしれない──欧米の識者と同じように、中国の哲学者の多くも(大半が儒教、道教、仏教系)、その可能性を深く憂慮してきた。
また、人類が切望してきた「長寿」や健康のために、ヒトゲノムや自然進化の過程を操作したいと考える欲望を警戒する者もいる。