コロナ危機のいまこそ「負け犬社会主義」を乗り越えていく好機 | ベーシックインカム推進論者のルトガー・ブレグマン語る | クーリエ・ジャポン

★★★:バランスよく議論できる
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☆☆☆:議論用ではない
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Apr 8, 2020 08:10 AM
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Photo: Capture from MSNBC Live with Ali Velshi
ルトガー・ブレグマンはオランダの若手歴史学者で、ダボス会議での忌憚なき発言などで世界的に知られるようになった。ベーシックインカム推進論者としても知られる。
新型コロナ・パンデミックにより世界が危機に直面し、公的な社会保障が課題のいま、ブレグマンがふたたび注目されている。

いまこそ「ベーシックインカム」しかない

今回の「新型コロナショック」を受けて、ブレグマンは、「コレスポンデント」にかつて寄稿したベーシックインカムについての記事(邦訳『隷属なき道』所収)に以下の文章を付して再掲している。
「危機のとき、忘れられていた急進的なアイディアが突然スポットライトを浴びることがある。ユニバーサル・ベーシックインカム(最低所得保障)についても然りだ。 7年前、ベーシックインカムについて最初に書いたときには、ほぼ完全に無視された。 だが、『無料のお金(フリーマネー)』が旧来の社会保障や開発援助の形よりも効果的でありうることは、経済学者や社会学者がすでに証拠を積み上げてきた。 ほかに選択肢はない。平時なら、政治家たちは社会保障給付金に条件をつけたがる。たいていそれは不信から来るものだ。無料のお金で人は怠惰になるのではないか? 手当をアルコール、ドラッグ、ゲーム、『ネットフリックス』で無駄遣いするだけではないのか? しかし、この議論をどう思おうが、現実は、いまや不信の暇などない。不信は高くつくからだ。 幸いなことに、『信頼を信頼する』に足る理由はあるのだ」

パンデミックで問い直される「不可欠の仕事」

タイムリーなことに、ブレグマンは『ヒューマンカインド──望みある歴史』(未邦訳)を著したばかりだ(英語版は2020年5月刊予定)。まさに、人類に対する「信頼」を論じた本だという。
この近刊について、またパンデミック時代の進歩派の政治について、ドイツ左派系メディア「ターゲスツァイトゥング」がポッドキャスト・インタビューしている。以下ではブレグマンの回答の一部を抄訳でご紹介する。
このパンデミックにポジティブな側面はあるのか、進歩派はこの危機をどう好機にできるのかと聞かれたブレグマンはこう答えている。
「この危機は政治をまたずいぶん違った方向へ動かしうると思います。というのも人々が、これは個人主義では救えない、競争では救えない、ビジネスでは救えないと気づいてきているからです。それとはガラッと違った価値が必要なんだ、この危機を切り抜けるには──と。 協力、連帯が必要です。より強い国家が必要です。税金を払うビジネスが必要です。ただ、いまビジネスはまたもや政府に金をせびっているところですが……。 さまざまな職種の『仕事の価値』をめぐる議論を見てもわかります。いま世界中でいわゆる『不可欠な職業(ヴァイタル・プロフェッション)』とは何かが注目されていますが、それは銀行家でもなければ、ヘッジファンドマネージャーでもマーケターでもなかった。医師、看護師、ゴミ収集作業員でした。まあ、意外ですよね。 これは長期的な影響がありえます。何年何十年と経ってから、『あのコロナ危機を忘れるな』『あの疫病のさなか、人々が誰により頼んだのか忘れるな』と言い聞かされるわけです。そして、それはCEOでもなければ銀行家でもない、看護師や清掃員にだったと。これは政治に一世代にわたり影響しえます。この教訓を活かすならば、ですが。 もちろん、ありえる筋書きや可能性を大雑把に描くくらいしかできません。ここがひとつの転換点にはなるだろうけれど、どの方向に行くかはただ誰にもわからない」

「負け犬社会主義」を超えよう

世界の左派や進歩派は備えができていると思うかとの問いには、次のように答えている。
「まだわかりません。でも希望も持っています。2008年の金融危機のときよりは上手くやれると楽観視しています。 その金融危機だって、欧米の進歩派にとって警鐘、あるいは活かすべき機会になりえたわけです。しかし実際には、社会民主主義がほぼ破壊されてしまうのを目の当たりにしたわけです。ヨーロッパ中のいたるところで敗北を喫しました。 それから人々は昏睡状態というか、ある種の夢なき睡眠に陥ってしまったようでした。ユートピア的な思考をほとんど失ってしまって。 当時の最大の問題は、左派が自分たちが何に反対しているかしかわからなかったことです──緊縮、支配者層、同性愛嫌悪、人種差別……。この現象を『負け犬社会主義』と私は呼んでいます。 内輪もめだらけで、連携を築くのがすごい下手くそで、権力について実際的に考えたり、制度をどう変えられるを考えたりもすごい下手くそで、『正しくあること』とかにしかほとんど興味がなかった。ちょっと間違って勝つことより、正しくて負けることを選ぶみたいな。 今回は、事情はもう変わっている、左派はもっと備えができているというのが私の希望です。 たとえば、アメリカの政治的可能性もここ5、6年でかなり変わりました。ジョー・バイデンにしても、私はあまり彼のファンではないですが、彼の気候変動政策案は、2016年のバーニー・サンダースのそれよりもっと急進的です。 ピート・ブティジェッジの税政案にしても、2016年のヒラリー・クリントンのそれより3倍も4倍も急進的です」

「人類は親切」なのか?

近刊の英題は『Humankind: A Hopeful History』。人類と人の親切さ(kind)をかけたタイトルだ。
ターゲスツァイトゥングのインタビュアーの要約によれば、ブレグマンは本書で「人類は善」だと論じている。人間が利己的でなく、友好的で、思いやりがあるという証拠はあるのかという問いに、ブレグマンはこう答える。
「この15〜20年で、幅広い分野の学者たち、人類学者、考古学者、社会学者、心理学者の人類に対する見方がずっと望みあるものに変化してきました。ただし、それぞれが専門化しているので、お互いのそうした変化には気づかないことが多いわけです。 『傍観者効果』を研究した著名な心理学者と話したことがあります。緊急時、たとえば誰かが溺れているとか、街中で攻撃されているとか、人はどうふるまうかという問いですね。その心理学者が監視カメラの記録など実際にあった事件を分析したところ、そのうちの90%の場合で、人々は助け合ったという結果が出ました。 その心理学者にも伝えたんですが、生物学でも同様に、より望みある人間観に変わってきています。最近では『最も友好的な者が生き残る』という説が出ています。数千年間、最も友好的な性質を持つ母親が最も多産で、その遺伝子を次世代に残す可能性も最も高かったというものです。 その心理学者は私に言いました。『なんと、そっちでもそういうことが起こっているんですね』 新刊で私がしようとしたのもそういうことです。点と点をつなぎ、ズームアウトし、科学的にもっと大きな何かが起こっていると示そうとしました」

人間は一皮むけば邪悪なサディストではなかったのか?

人間の性質は親切だというのは「スタンフォード監獄実験」や「ミルグラム実験」の結果と矛盾する人間観ではないのかとの問いに、ブレグマンはこう答える。
まず、スタンフォード監獄実験から始めましょう。20世紀の心理学で最も有名な実験のひとつで、いまでも世界中の心理学の教科書に出てきますよね。 実験のメッセージは、人間の性質なんて一皮むけばこんなもんだと、人間の文明など薄っぺらいベニヤ板みたいなもんで、他人を虐待できる自由をちょっとでも与えれば、そうするんだというものでした。被験者の学生たちは平和主義者でヒッピーだったけど、根深いところでは邪悪なサディストなんだと──。 この結果は第二次大戦やホロコーストを説明するために用いられました。『私たちひとりひとりのなかにナチがいる』というわけです。 私もしばらくこの実験を信じていましたし、以前にこのことについて書いたことすらあります。でも、今回の執筆で調べるなかで、基本的に『イカサマ』だったことを知りました。ドナルド・トランプだったら『フェイク』と呼ぶような完全なでっち上げです。 この実験をしたフィリップ・ジンバルドーが学生たちに、できるだけサディスティックにふるまえと指示していたわけですから。このイカサマについては、ティボー・ル・テクシエというフランスの学者が『ウソの歴史』(未邦訳)という本で詳細に証明しています。

ホロコーストはなぜ起こったのか?

では、アウシュヴィッツはどう説明するのかとの問いに、ブレグマンはこう答える。
「拙著の皮肉のひとつですよね。人類の親切心や善についての本を書きたければ、歴史上の残虐な出来事についても何百ページも費やさねばならなくなります。民族浄化、戦争、ホロコースト……。そのとおりです。 私たちは動物界で最も友好的な種であるだけでなく、最も残酷な種でもあります。ペンギンがほかのペンギン集団を閉じ込めて殲滅しようなんて話してるのは聞いたことないですからね。この世界にあるのは、唯一人間の犯罪です。 しかしそれで、スタンフォード監獄実験的な『文明なんて薄っぺらいベニヤ板』説を否定しようとすれば、ますます問いは大きくなります。人間が進化して、友好的になり、協力的になったとすれば──そして事実そうですが──ではなぜこんな残酷なことをするのか。 それに対する簡単な答えが出せるふりはできません。この問いについて実際に何百ページも費やしましたが、まだ短すぎると思っています。書き続ければ図書館が立つでしょう。 私ができることは、その問いに答えはじめることくらいです。 先ほど、『最も友好的な者が生き残る』という生物学の説を紹介しました。しかし、友好さには陰の側面があります。 友好さは服従にもなりえます。好かれたいと思う人々は、自分の属する集団やそのリーダーに反することが難しいでしょう。自集団を大切にしようとすると、他集団、外集団を嫌いになりはじめるかもしれません。 心理学者や生物学者はいま、自集団への共感と他集団嫌悪、つまりゼノフォビアには深いつながりがあるのではないかと考えています。私たちの脳内には部族主義がうなっているわけです。それが、人類史上の惨禍では非常に重要な役目を果たしていると思います。 友好さが、正義と真実の邪魔をするということが歴史ではよくあります。それが拙著の大きな逆説のひとつかもしれません。つまりこういう主張です。人間は進化して友好的になったが、ときとしてまさにそれこそが問題なのだ!」