【早わかり】ミャンマーの「クーデター」はなぜまた起こったのか? | クーリエ・ジャポン

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Feb 4, 2021 12:43 AM
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国軍によって封鎖されたミャンマー連邦議会近くの道路(首都ネピドーにて、2021年2月1日) Photo: Stringer / Anadolu Agency / Getty Images
ミャンマーでクーデターがまた起こるとは、アナリストたちですら予期していなかったようだ。ミャンマーの政情をまったく知らない人にも、断片的に知っている人にも役立つ、米経済メディア「ブルームバーグ」の解説をお届けする。
ミャンマー国軍がふたたび政権を掌握した。アウンサンスーチーが選挙で3度目の圧勝をおさめてから数ヵ月、国軍の将軍たちがその選挙結果に異議を唱え、スーチーをふたたび拘束したのだ。
イスラム教徒の少数民族ロヒンギャに対する虐殺をめぐって国際的な非難を呼び起こしていた新生の民主主義国にとっては、さらなる打撃だ。

1. クーデターがあったのか?

クーデターがあった。ただし、国軍はその行動が合憲だったと正当化している。
スーチーが党首を務める国民民主連盟(NLD)の広報官が「クーデター」という用語を使っている。国軍がスーチーとウィン・ミン大統領を拘束し、非常事態宣言を発し、権力を1年間握ると発表したあとのことだ。
2008年に制定された憲法では、「国家的連帯」を脅かしうる非常事態のときに国軍(「タッマドー」)が主導権を握ることが認められている。
国軍は、2020年11月8日の選挙結果に反対しているのではなく、「2020年選挙の過程が容認できないのだ」と述べていた。
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ミャンマーの首都ネピドーにある連邦議事堂近くの道路を封鎖する国軍。クーデターの翌日、2021年2月2日 Photo: Stringer / Anadolu Agency via Getty Images
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軍用トラックの荷台に座る兵士(ミャンマー・ヤンゴンにて、2021年2月2日) Photo: Aung Kyaw Htet / SOPA Images / LightRocket / Getty Images
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クーデターの翌日、「非常事態」の大見出しがものものしい「ミャンマー・タイムズ」紙を眺める人(ミャンマー・ヤンゴンにて、2021年2月2日) Photo: Aung Kyaw Htet / SOPA Images / LightRocket / Getty Images
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国軍に拘束された「国家顧問」アウンサンスーチーのバナーが、観光局の建物に掲げられたままだ(ミャンマー・ヤンゴンにて、2021年2月2日) Photo: Stringer / Anadolu Agency / Getty Images
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連邦議員たちが滞在しているゲストハウスに入る家族たち(ミャンマー・ネピドーにて、2021年2月2日) Photo: Stringer / Anadolu Agency / Getty Images
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ヤンゴン市民たちが鍋や缶などを叩いてクーデターに抗議の意を表している(2021年2月2日) Photo: Stringer / Anadolu Agency / Getty Images
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ヤンゴンの路肩に停まる警察トラックの横を通り過ぎる国軍の支持者たち(2021年2月1日) Photo: Aung Kyaw Htet / SOPA Images / LightRocket / Getty Images

2. 選挙で何があったのか?

正式認定された選挙結果では、NLDが改選議席の80%以上を獲得した。
国軍とその派閥は、860万票を不正投票の嫌疑で取り調べるよう当局に要求していた。この票数は、有権者のほぼ4分の1に相当する。
ゾー・ミン・トゥン准将は2021年1月、国軍が100万票以上の重複投票を見つけたと述べている。最高裁は1月29日にその申し立てを受理したが、審理するかどうかは決めていない。

3. 第三者は何と言っているか?

選挙委員会は1月28日、今回の選挙は法に従って実施され透明性もあったと擁護し、不正疑惑を否定した。
国際的にも、今回の選挙は適正だったとする見方が大半だ。駐ミャンマーのアメリカ、イギリス、オーストラリア、欧州連合その他の外交筋が、選挙結果を覆そうとしないよう国軍に呼びかけていた。

4. さらなる展開はあるのか?

大半のアナリストがこれまで、クーデターはありえないと片づけていた。国軍の不服も、選挙で大敗した軍隊および連携政党が好条件を求めて駆け引きしているに過ぎないと説明していた。
ところが、国軍は2月1日の発表で、議会が2月5日に再開する前に行動する必要があったと主張。さらに、有権者名簿が検査され、選挙委員会が「立て直し」されるだろうとも述べた。
ほかの問題もあった。少数民族を代表する諸政党が、2020年の選挙で居住地域の治安を理由に200万人近くが選挙権を剥奪されたと不服を申し立てていた。

5. どんな歴史的背景があるのか?

ビルマ(当時の呼称)は、第二次世界大戦後にイギリス植民地支配から独立すると、すぐさま内紛状態に陥った。
少数民族が人口5600万の3分の1を占め、国土の半分に居住し、翡翠、金、チーク、アヘンなどの重要資源を押さえている。
民族の権利と自決を保障する協定は、同国の最初の指導者になるべく選ばれたアウンサンが、1947年7月、ほかの閣僚6名と共に暗殺され、白紙に戻された。
1962年、国軍の最高指揮官だったネ・ウィンがクーデターを起こし、半世紀におよぶ軍事支配が始まった。この間、ビルマは極貧と孤立の状態に陥った。
1988年に民主化運動が起こると、軍隊は厳しく抑圧した。その2年後、アウンサンの娘であるスーチーが結成したNLDが選挙で圧勝すると、軍隊はその結果を無効にした。
スーチーはその後20年の大半、自宅軟禁生活を余儀なくされ、軍事政権の悪政に対する注目を集める国際的な役割を果たした。
2011年、元将軍たち率いる新しい民政が大規模な政治・経済改革を発表したあとでようやく、スーチーは補欠選挙に出馬し、議会に加わることに同意した。
政治犯の解放、集会・デモの自由、外国人投資家への門戸開放などもその改革の一部だった。

6. 2015年の選挙後に何があったのか?

2015年の選挙でスーチーのNLDは、10対1近い差をつけて与党に圧勝。2016年2月、議会両院の支配権を得た。
軍のトップはかつての政治犯と協力することを約束したものの、国軍は強力な保安省庁を牛耳り続けており、憲法改正の取り組みを拒否している。
そのせいで、子供たちが英国籍を持つスーチーは、国家元首である大統領に就任できずにいる。
与党NLDはスーチーを、首相と似た役割の「国家顧問」とする法案を提出し、政府におけるスーチーの優位を固めた(スーチーは外務大臣も兼任)。

7. その後どうなったのか?

この50年以上でミャンマー最初の文民政府が果たした改革としては、銀行、保険、教育部門の自由化、インフレの抑制などがある。
それでも、人口の約3分の1が貧困にあえいでおり、ビジネスもお役所仕事から抜け出せずにいる。
ロヒンギャに対する虐殺をめぐっては、2つの国際法廷による捜査が入り、1991年にノーベル平和賞を受賞したスーチーの名声も汚される事態となった。
これによってスーチー政権の可能性も狭められ、多くの外国人資本家たちを阻むことになった。
2020年、スーチー自らハーグ国際司法裁判所に出廷し、国軍を擁護したものの、NLDと国軍の関係は悪化していた。
同国の新興の民主主義は、国軍が加速度的な変革のペースを受け入れるのか、それとも「塹壕を掘り直す」のかに大いにかかっていたが、いまや後者が選ばれたようだ。