新型ウイルス、2020年の世界的な出来事にどう影響した - BBCニュース

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Dec 31, 2021 09:22 PM
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Illustration showing two people with thought bubbles
2020年は前例がない年だった。新型コロナウイルスに6700万人以上が感染し、仕事の8割が影響を受けた。数十億人がロックダウン(都市封鎖)下に置かれた。
もし新型ウイルスのパンデミック(世界的流行)がなかったら、2020年はどうなっていただろう。そんなことを、考えずにはいられない。愛する人たちとどんな時間が過ごせただろう? 誰の誕生日や結婚式、人生の節目に立ち会うことができただろう?
新型ウイルスの危機は、すべての人に直接、影響を及ぼした。同時に、世界各地でニュースを生み出し、その余波は何百万人にも広がった。
以下、パンデミックによって様相が変わった、4つの大陸の4つの政治問題を振り返ってみる。
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画像提供, BBC/Getty Images
Illustration showing Donald Trump at a rally, Joe Biden wearing a mask, and post boxes, over a map of North America
米大統領選は、もっと違ったものになるはずだった。騒がしい選挙集会が開かれ、各陣営は遊説のためアメリカ各地を駆け巡る予定だった。
トランプ氏が大統領選で敗れた原因はさまざまだと言われる。ただし、大統領のパンデミック対応はかなり大きな要因の1つとなったと、複数の専門家は言う。
「パンデミックの影響がトランプに相当のダメージを与えたのは明らかだ」と、米エモリー大学のアラン・アブラモウィッツ教授(政治学)は話す。トランプ氏は適切な対策を取らず、社会的距離の確保やマスク着用などの公衆衛生ガイドラインに「ある意味で、従わないよう促した」。それによって接戦州の形勢がバイデン氏有利に傾くだけの影響が、有権者にあったと同教授は説明する。
しかし通常、危機下の選挙は現職に有利とされる。それだけにこの結果は皮肉なことだと、アブラモウィッツ教授は話す。「もしトランプ氏がパンデミックを真剣かつ効果的に取り上げていたら、大統領選では楽勝していたはずだと思う」。
パンデミックは一方で、経済の停滞ももたらした。これは普通は、現職の大統領に不利に働く。
1984年以降のすべての大統領選で勝者を正確に予測してきた「13の鍵」を考え出した、米アメリカン大学のアラン・リクトマン教授(歴史学)は、8月の時点でバイデン氏が勝つと予想した。短期および長期の経済状況など、いくつかの要素に基づく判断だった。
「パンデミック対応の失敗がトランプの敗北につながった」と、リクトマン教授は言う。トランプ氏はパンデミックを軽視し、感染を素早く抑え込むことができなかったため、「短期経済の鍵と長期経済の鍵を失った」というのだ。
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画像提供, Getty Images
Joe Biden accepts the Democratic nomination at the virtual DNC
「バイデンは失言と言い間違えで知られているので」と、米ヴァージニア大学の政治分析ニュースレター「Sabato's Crystal Ball」のマイルス・コールマン編集委員は説明する。
パンデミックによって、バイデン氏は自分自身を目立たせない戦い方を選んだ。そして、大統領選は「2人の候補者のどちらを選ぶか」ではなく、「トランプに対する信任投票」になった。
ただ、共和党が伝統的な直接参加型の選挙運動を続けたことで、「インターネット環境が十分とは言えず、支持を訴えるには戸別訪問が必要な田舎において、トランプは非白人有権者の支持を増やした」とコールマン氏は分析する。
今回の大統領選では、過去100年以上で最も高い投票率を記録した。これにもパンデミックが関係したと、リクトマン教授はみている。パンデミックが、「国家的な緊急事態だという感覚を生み出した(中略)。トランプ支持者とバイデン支持者の両方のアメリカ国民が、この選挙は人生で最も重大な出来事だと、パンデミックによって説得された」というわけだ。
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画像提供, BBC/Getty Images
Illustration showing Carrie Lam, Joshua Wong, Nathan Law and Agnes Chow, with a Hong Kong flag, over a map of southern China and the surrounding area
2019年、世界は香港の危機にくぎ付けになった。この国際金融都市では、民主化を求める抗議デモが毎週のように開かれ、警察との衝突や催涙ガスは当たり前のようになった。まれに実弾が撃たれる場面すらあった。
デモは中国政府と経済界の一部から非難されたが、世論はおおむね共感していたようだった。そのことは、2019年後半の香港の選挙で民主派グループが大勝したことに表れていた。しかし2020年になると、香港の通りはほぼ静かになり、デモは抑え込まれた。民主派議員らは辞職するか、香港から逃げた。何が変わったのか?
パンデミックは今年1月、香港を襲った。これが当初は、デモ参加者の減少につながったと、学生活動家のジョーイ・シウ氏は話す。「香港市民は新型ウイルスがいかに深刻か認識していた。2003年にSARS(重症急性呼吸器症候)の大流行を経験していたからだ」。
パンデミックの第1波と第2波は比較的素早く収束に向かった。しかし、パンデミックの影響はそれより、公の場での集会規制強化という形で表れた。そしてこのガイドラインは、デモ参加者を処罰する根拠としても使われるようになった。
米ノートルダム大学のヴィクトリア・フイ教授(政治学)は、当局がずっと反政府デモをやめさせたいと思っていたところにパンデミックが発生し、公衆衛生を名目にデモをやめさせるための「言い訳を当局に与えた」と話す。社会的距離に関する指針によって、民主活動家らは罰金を科され、デモは禁止された。
学生活動家のシウ氏は、以前は多くの人が危険を承知の上で無認可のデモに参加していたと説明。「逮捕されない可能性や、裁判になっても勝てる見込み」がまだあったからだったと述べる。
「でも今は、公の場での集会が禁止され、警察は民主化デモに参加したと思われる人を誰でも訴追し、2000香港ドル(約2万7000円)の罰金を取ることができる」
そして、香港の民主化運動を制限する役割を果たしたと広くみられている、2つの大きな出来事が発生した。圧倒的な影響力をもつ香港国家安全維持法(国安法)の一方的な施行と、立法会(議会)選挙の延期だ。
国安法は、政府に対する「憎悪をあおること」や、中国当局者への制裁を外国に求めること、特定の抗議スローガンを使うことを、終身刑に処せられる可能性もある違法行為だと定めた。中国政府は長年、香港がまとまりを保つためには、そうした法律が必要だと主張してきた。ただ、5月というタイミングで法案が出されたのは、「根本的にCOVID-19が影響したもの」だったとの見方も出ている。
「当時の中国政府は、今の世界はパンデミック対応で手一杯で、他のことに構っている余裕などないと計算したのだ」とフイ教授は話す。
国安法の影響はすぐに表れた。いくつかの民主派グループは解散し、商店からは抗議デモを支持するポスターが消えた。活動家はデモに参加することをかなり恐れるようになったと、学生活動家のシウ氏は語る。
一方、国安法の支持者らは、暴力的になることも多かったデモが1年続いた香港にとって、安定を取り戻すためには必要な法律だと訴えた。
その1カ月後、感染の第3波のさなかに、香港政府は立法会選挙を1年延期すると発表した。公衆衛生の専門家からは、選挙の安全な実施は可能だという意見も出ていたが、政府はそれを受け入れず、「多大な感染リスク」と、世界中でいくつもの選挙が延期されていることを挙げ、延期は必要だと主張した。
しかし人権団体などは、延期は政治的な判断だと考えた。選挙では民主派グループが議会の多数派を握ると期待されていたからだ。この後、数カ月のうちに、何人かの民主派政治家らが警察に訴追されたり資格を失ったりした。
アフリカ以外で暮らす人の多くは2020年まで、エチオピア北部のティグレという地域名を聞いたことはなかった。
だが11月、エチオピア政府と地域政党ティグレ人民解放戦線(TPLF)の衝突が発生。報道によると、何百人もの死者が出て、4万人以上が隣国スーダンに逃れた。この戦いは地域全体を不安定にしかねないとの懸念が出ていた。
危機を引き起こした原因の1つは、COVID-19の影響で総選挙が延期されたことによって憲法上の危機が生まれ、そのことへの政府の対応ぶりが問題視されたことだった。
「選挙の延期は、この戦争の根源的な原因の1つだ」と、地元紙アディス・スタンダードのツェダレ・レマ編集長は話す。
エチオピアは2018年、アビー・アハメド首相の新政権の下、民主改革を打ち出した。2020年8月に予定されていた総選挙は、「政界から締め出されていた」多くの反政府グループにとって、初めて争う機会となるはずだったと、ツェダレ編集長は言う。「誰もが興奮していた」。
「敵対するグループの間で政治的緊張が高まっていた。一部では選挙後の暴力行為を懸念する声も出ていたが(中略)、多くの人は、選挙が緊張を和らげてくれると期待していた」
感染拡大が3月に起きると、選挙管理委員会は総選挙の延期を決定。ほとんどの反政府グループがこれを受け入れた。ところが、首相の任期が9月で終了する予定だったことから、憲法上の危機が生じた。
政府は対応をめぐり、野党と妥協できなかったと、ツェダレ編集長は話す。与党色の強い法律委員会は、首相の任期延長と、パンデミックが終結するまで無期限の選挙の延期を決定。そしてこれが、与党が完全掌握する議会上院で可決されたと、ツェダレ編集長は言う。これにより、政府は野党勢力との関係において正当性を失った。
シンクタンク「国際危機グループ」のアフリカプログラムのディレクター、コンフォート・エロ氏は、「パンデミックと、選挙をめぐる決定が、以前から燃え上がりやすかった状況にさらに油を注いだ」と話す。
政府と地域が緊張関係にあり、地域間の暴力の脅威にさらされているエチオピアは、すでに「不安定な変遷」の状態にあったと、エロ氏は言う。反政府勢力は総選挙の延期を、「首相がライバルに相談せず、独断で行動するまた新たな事例」とみなした。
「それが最後のひと押しとなった。TPLFはもはや中央政府を認めず、一方で中央政府もTPLFを認めることを拒んだ。互いに正当性を認めない状況に陥り、それから先は、戦争は起こるかどうかではなく、いつ起こるかの問題になった」とツェダレ編集長は言う
エチオピア政府軍は11月下旬、ティグレ州の州都を制圧し、勝利を宣言。しかし、州内の一部で戦闘は続いており、国連は「民間人に恐ろしい影響」が及んでいるとして警告を発している。戦闘は「痛ましく悲しい結果だ。(中略)合意に基づく政治を作り出す絶好のチャンスを、私たちは逃してしまった」とツェダレ編集長は話す。
ネタニヤフ氏はそのころ、首相の5期目に入ったばかりだった。ライバルのベニー・ガンツ元軍参謀総長が率いる野党連合と、連立政権を発足させた。イスラエルは2019~2020年に3度の総選挙を実施したものの、どの政党も与党連合を組むだけの議席を確保できず、政治的に不安定な状態が1年近く続いていた。
実際、直近の3月の総選挙では、ガンツ氏が最初に政権を発足させるよう大統領から指示を受けた。ネタニヤフ氏を政権の座から下ろすことで一致した議員らがガンツ氏支持でまとまり、同氏が僅差で多数派となったのだった。
ところが、野党連合は「右翼国粋主義者から左翼共産主義者まで幅広い政党の集まりだったため、政権を発足させることは困難だった」と、地元紙ハアレツのコメンテーター、アンシェル・フェファー氏は語る。
そうしてネタニヤフ氏が代理として首相を務めているうちに、パンデミックが到来した。
「国民は突然、国家の緊急事態だと感じるようになった。そして、ネタニヤフは自分こそが緊急時のリーダーだと主張し、新型ウイルス対策の責任者となった」とフェファー氏は言う。「パンデミックはネタニヤフにとって、考えられる限り最高の政治的タイミングでやって来た。ガンツに対し、ネタニヤフに協力するよう圧力をかけることになった」。
ネタニヤフ氏が首相となる内閣には決して加わらないと誓っていたガンツ氏は、「今は通常時ではない」として、180度の姿勢転換を自己弁護した。
連立政権の取り決めでは、ネタニヤフ氏とガンツ氏は首相職を交代するとし、ネタニヤフ氏がまず首相になった。この何カ月か前に汚職疑惑で起訴されていたネタニヤフ首相は、野党から相次ぐ辞職要求に抵抗している状態だった。それだけに、野党連合とのこの合意は、ネタニヤフ氏の勝利だと大方が受け止めた。ネタニヤフ氏は収賄や詐欺、背任の嫌疑を否定している。
パンデミックはネタニヤフ氏にひと息つく余裕を与えたと、イスラエルの経済紙グローブスの外交問題担当記者タル・シュナイダー氏は言う。「舞台裏で本当に問題になっているのは刑事裁判だ。彼は時間を稼いだように見える」。
対照的にガンツ氏は、ネタニヤフ氏と組んだことで自らの支持基盤と「有権者を欺いた」とみなされ、政治的な脅威となるほどの力はなくなったと、シュナイダー氏は述べた。
連立政権の連立も長くは続かなかった。発足からわずか8カ月後には予算案をめぐって政権内で対立が起こり、連立が崩壊した。
イスラエルでは2021年3月、ここ2年間で4度目となる総選挙が開かれる。ネタニヤフ氏は「圧勝」し、首相の座に戻ると宣言している。